見えざるもの
見えているものは、見えていないものから、成り立っている。
見えているものが、そのものの“すべて”という幻想に傾きそうになるが、目の前にあるものは、人の目では確認できない要素が響き合い存在している。そう考えるだけで、無限に広がる美しいものを探しに行きたいと思う。
アトリエの一室で素材に向き合っていると、時折、見ること以上に、感じることの方が大事なのではないだろうかと問いを抱く。
素材を手に持ち、次の彫りでフォルムをどう描くか。
肌に触れる瞬間の違和感、愛おしさ。
金属と刃が触れ合う繊細な音。
視覚から触覚、そして聴覚へ、自然と不自然の狭間を行き来しながら手を動かす。
リヒターの奏でる光や、等伯の描く墨濃淡のように、
心が引き寄せられるものには、いつも見えない要素が交わっている。
見えないものを、見る目を持つことは、その物体との対話であり、交換であり、循環運動である。